Text by Shigetoshi


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ライブハウス南豆製氷プロジェクト
企画コンセプトと出演者募集告知
2/16/2006

 ライブハウス南豆製氷プロジェクトでは広くマンスリー・ライブの出演者を募集しています。音楽ジャンル、プロ、アマチュア、カバー、オリジナル等問いません。また音楽以外も、映画、演劇、舞踊、詩の朗読、マルチ・メディア・イベントなど、この場所にリスペクトを寄せる総ての表現者をサポートします。
 南豆製氷は設備のゆきとどいたコンサートホールではありません。しかしイベントスペースとしては、風合いのある自然素材で構成されステージと観客の一体感が保ちやすい適度な広さの空間だと沢山の人が認めています。今後まず建てる事はできない伊豆石の壁に囲まれたこのような空間は、一般的なアミューズメント施設では不可能なのです。ですからなんとか現状の雰囲気のままでの有効利用を考えています。
 しかし最新のライブスペースのように、空間を生かす音響設計がなされ空調設備も完備し、トレンディなフードとドリンクメニューが並び百戦錬磨のイベントスタッフがサポートする「箱」と、まったく別の目的で建てられ使われて老朽化し、駐車場用地のために買い上げられた土地に建つ廃屋の空間を同列では考えられません。
 またこのプロジェクトは、南豆製氷の現在の持ち主である下田市商業協同組合様の寛大なバックアップ無しには考えられず、また北側アーチ型開口部の新たな木製扉や会場となる機械室の仮設ステージの設置、観客用の折りたたみ椅子の貸与など、そして南豆製氷応援団の方々の粘り強い活動と、たくさんの皆さんの好意と熱意の上で成り立っています。しかし、現状ではまだ石に囲まれた古い作業所跡でしかありません。ですからそのような場所での定期イベントとなると、ブッキングの調整、ポスター、フライヤー、チケット、プレスリリースの制作と配布などの通常のライブハウス業務に加え、当日ボランティアの手配、イベントごとの関係諸団体との折衝、音響照明機器の手配など専任スタッフの日常的仕事量は増えるばかりです。そこをご理解いただきこのマンスリー・ライブでは、1回のイベントにかかる最低限の経費(電気代、灯油代など環境整備費、音響照明費用、フライヤー、チケットなどの印刷費、会場維持のための雑多な消耗品費など)だけは出演者の方にチケットノルマという一般のライブハウスと同じシステムで集客にご協力いただき、定期的に開催してゆきたいと考えています。ノルマというだけで、知名度や集客力の十分でない表現者に時間を買わせるというシステムに抵抗感を感じざるを得ない方もあるかと思われます。しかし、いろいろな表現ジャンルや手法が交差する現代、玉石混合の中から次世代へ繋がる新たな表現出現の可能性に門を広く開けながら適切な表現の場所を維持するためには最前の方法だと思わざるをえません。そしてそのような目的のスペースとして、うってつけなのが南豆製氷だと考えています。
 ですからチケットノルマとは言っても、都会のライブハウスのそれとは意味合いも違い、当然負担金額も最低限ものを考えています。また地元高校生の出演者には、音響技術を中心としたイベントスタッフの育成、および将来本格的なライブハウスやイベント出演時に必要となる、現場スタッフの役割とセルフプロデュースの理解の為の実地指導を兼ね、PA機材の搬入搬出や会場設営などのサポートをお願いし、その分のチケットノルマの軽減を考えています。また会場はバリアフリーにはほど遠く、木造部分など老朽化の激しいところなど年配の方や小さな子供達には危険な場所もあります。出演者、観客の方にはそこをご理解いただき野外イベントなどと同様に、進んで弱者をフォローする気持ちと自己責任での行動意識を持って臨んで頂けたらと思っています。このイベントの成否はこのような観客皆さんひとりひとりの意識、そこにかかっていると言っても過言ではありません。安全性が完璧に確保され、至れり尽くせりでラグジュアリーな空間への補修改築とその維持には膨大な費用がかかってしまうのです。ここが既成のイベントやコンサートとは一味違うところだと思っていいただけたら幸いです。また近隣にお住まいの方々にもご理解を仰ぎ大音量の演奏は夜8時迄をめやすと考えています(底冷えを歓迎する製氷所跡に広さに見合った暖房器具も足りないので、事実上冬は夜間の開催は辛いと考えています)。また敷地内にトイレ設備もなく、隣の下田市商業協同組合経営の駐車場の施設を使わせて頂いています。・・・いろいろな制約はあれ、私たちはこのようなローカリティや経済状況を新たな表現空間の特性としてとらえ、逆に表現に生かすことはできないかと前向きに考えています。その方向性は小規模ながら、同じ人が集まる場所とはいえ万人向けのテーマパークやショッピングモールのイベントスペースなどとも必然的に違ったものになります。出演者、観客および近隣にお住まいの方々にもこのproject-N(ライブハウス南豆製氷プロジェクト)のある意味での特殊性をご理解いただきご協力をお願いしたいと思っています。
 歴史が刻まれた『モノ』は人の時間感覚をひととき新たな視座へ誘います。そこで催されるイベントには「場所と時間を分けて考えない音楽の力」を借りて、事物間の背後に連なる新たな回路にそった、未来の我々の共生感創出の可能性があります。あたかも脳の構造としてのホログラムモデルのように、場所と歴史情報のランダムアクセスが可能となる場がその空間にたち現れます。そこには本質的な意味でのオーガニックな時空感覚を呼び起こす『壊れやすい手がかり』が眠っています。
 周知のようにイベントの質はアーティストの著名度やカリスマ性、技術的習熟度、表現の発想の奇抜さなどだけで左右されるものではありません。アーティストがステージ上でパフォーマンスし現れた「演じられたもの」。リラックスしながらも自らの総ての感覚器官の最高感度でその場を感じ採ろうとしている観客の皆さんの視線。ただの変哲もない空間が一時途方もない広がりを見せることをイメージして、直感力と厳密な計算でそのイベントを企画運営するスタッフ。そして、太鼓持ちでも皮肉でも村八分の片棒を担ぐでも無く、文化を育てようとする真摯な姿勢に基づいた率直な各種メディアによる批評。眠っていた空間が「今」にシンクロし共鳴を起こします。人間の脳の使われていなかった部分をnon-chemicalに励起させ、アルタードステイツ(変成意識)に導く「場」は、これら4つの異なった立場からの「思い」の協調で支えられ、相互の新たな関係性の回路の顕在化と共にその輪郭をはっきりとしたものにしてゆきます。これこそが古代から連綿と培われてきた伝統芸能や村祭りの伝えてきた「もの」と同質な、何もデジタル技術の専売特許ではない本質的な意味でのヴァーチャル・リアリティだと思います。
 今まで公演したアーティストが、こぞってこの空間の醸し出す雰囲気を絶賛しています。歴史の港下田港のウォーターフロント、下田の商店街の入り口にランドマークの様に建ち、伊豆急下田駅から徒歩3分、下田の近代化の歴史とそれに関わった多くの人たちの思いが刻まれた風格のある伊豆石の館でLIVEをしませんか!!!!!!!!!。
 残念ながら初回2月26日は地元高校生の参加はありませんが、南伊豆のトライバルかつ南国的気分を併せ持った地元の5人編成のバンド"IZU LIFE VIBRATION"に加え東京から吾妻愁流さん、名古屋から龍邦さんの二人の弾き語りファーク系シンガーが出演します。3月26日(日)、4月23日(日)、5月20日(日)、(2/16現在、6月以降も日にちを調整中)それぞれの出演希望者を募集しています。ブッキング及び詳細等は下記まで気軽にお問い合わせください。また当日数時間だけならスタッフとして協力できるという方や会場で簡単なドリンク類などの販売をしてくださる方からのご連絡もお待ちしています(タダでliveが見れるという特典?だけしかないのですが)。 さらに運営方法やシステムに関するご提案、ご意見から批判、苦情まで・・・E-mailやwebsiteを通じての匿名でもかまいません、知恵をお貸しいただけたら幸いです。
 加えて、このプロジェクトの日以外にあの場所を利用したいという方や、希望的観測や類推ばかりの趣旨には同意できないので?!独自にイベントを開催したいと考えられている方にも私たちは協力を惜しみません。駐車場推進派の方からのご意見もお待ちしています。そこから二者択一でも妥協でも計算でもない、今はまだ私もはっきりと目に見えない新しい回路による、命題と反命題との結びつきによって生まれる第三の可能性の存在を信じ続けることが、その何物かの存在を自らの血肉を削ぎながらかいま見せてくれた先人達や音楽に対する礼節だと思っています。

・・・いつもそこから次のliveは始まっているのです!
(2006年2月16日、文責:S.Phuzywara)







音楽と建築とエントロピー
 
2005.10.31 旧南豆製氷チャリティLIVE
"SOUND SYBERNETICS vol.1"
コンサート・コンセプト
(改訂2/17/2006)


  足を踏み入れた者がまず目にするのは、静かに息づく配管やバルブなどの金属を覆う錆だ。 朽ちつつある木材。風化しやすい伊豆石の壁。重たいドアに付いた多くの傷。 それらは、「時間の鉱物」とも呼ぶべき、時空の薫りを結晶化したオブジェだ。
 このような当初の目的を離れた「建築物」と「現在-音楽」は同じ過程の上にある。 両者とも、時の権力、宗教、経済などによって形作られた後、 さらに別の用途や可能性を直感した人々により、変性を繰り返しながら、 時空を超えるものを映し出すように進化してきたからだ。
 人為的行為とは混沌に構造を持った秩序を見出す活動とも言える。 そのとき、乱雑状態の中に構造の芽を持ったカオスが現れる。 しかしながら、人類の住む「世界」=宇宙が熱力学的平衡状態に向かっているのなら、 「構造という秩序を見出す行為」は、一見自然なふるまいに逆らっているように見える。 しかしそれは、河の流れの中の渦のように自然なものなのだ。 その人類の「構造を作ろうとする意志」とは、熱力学第二法則で言う、 「エネレギーがかたちを変えるプロセスに、熱となって散逸する一部」のことではないのか。 大局的には安定した平衡状態の中に、局所的に現れる不平衡な散逸構造。 それが「音楽」でもあり、「建築」でもあり、「生命」。
 「生物は負のエントロピーを食べている」 (エルヴィン・シュレディンガー『生命とは何か』) この熱力学第二法則の読み替えは、力学とゆうジャンルを超えたところに意味がある。 大河が淀みなく流れるには、局所的に渦という構造が不可欠なのだ。 時空の矢に乗る人類の歴史が「神の意志とも言うべき完璧なる混沌」という平衡状態へ向かう旅なら、 自然摂理の非情なまでの誠実さをリスペクトする人間の意志がカオスの生成を早め、 そこに肉体の束縛から逃れ、「無限の想像力の拡がる場」が現れるかもしれない。 たとえば、「歌わないことが一番いいんです」と歌い続けるフォークシンガーはネガティヴなのではなく、 歌い続ける日常の中でスピリティアルな場がある時ふと現れるのを知っているのだ(物語性=バラッドの系譜)。 一つの表現方法に拘っているように見えるのは、ただ少々せっかちでニヒリスティックなだけなのだ。繰り返し歌い続けること自体が、コズミックな大河を予感させるストラクチャーなのだ。
 建築とは時間と重力と日常性の彫刻なのだ。音楽も建築も「場」を解放するように仕組まれた装置なのだ。
 朝日の指す食卓の湯気立つ味噌汁の対流や、秋の夕日に輝く鰯雲のように、日常の営みの中にもその「場」は確かに在る。

文責:Shigetoshi PHUZYWARA (INTERLOID)




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